id:misho です。イスラエルでつくりおき学の研究をしています。愛人を募集していますので,興味のある方はご連絡ください。イスラエルには週刊文春は無いので大丈夫です。
Theory
#独身男性手作りチョコバトルは,きわめて高度に哲学的な闘いである。すなわち「手作りチョコ」というものが形而上において正当に定義されない概念であるので,まずその概念を確立するための闘争を行う必要がある。
「手作りチョコ」が「自分で作ったチョコレート」を意味することは,ここでは明らかとしてよいであろう。問題となるのは,「手作りチョコは何から作られるのか」という問いである。
「X を Y から作る」といったとき,Y は明らかに X ではない。手作りマフラーは毛糸から作られるし,手作り石鹸は廃油から作られる。手作りパンをパンから作ることはできないし,手作りマヨネーズをマヨネーズから作ることはできない。
ところが,手作りチョコはチョコから作られる。
これは形而上的には明らかな矛盾である。しかし現実にはその矛盾が成立している。この矛盾(コントラディクツィオーン)を止揚(アウフヘーベン)することなしには,手作りチョコを作ることはできない。そしてそのためには形而下世界を観察し,チョコからチョコを作るということを帰納的に定義することが必要である。 チョコを前にして「これチョコである」と述べることによってチョコは存立しうる。しかしそれはチョコにすぎず手作りチョコではない。つまりチョコをチョコとして観測あるいは叙述することはチョコを手作りチョコたらしめない。
数日にわたり帰納的考察(エパコーゲー)を試みた結果,私はこのテーゼとアンチテーゼによるアンビバレンツを一つの重大なるシンテーゼへとアセンションすることができた。すなわち「チョコを湯煎することで手作りチョコを作ることができる。」実際,全ての手作りチョコはチョコを湯煎することによって作られている。
このテーゼへと至る道のりこそが,私の#独身男性手作りチョコバトルであった。
Preparation
というわけで手作りチョコを作ります。
チョコです。チョコを食べると体調が悪くなるので 1 日 1 枚までに制限しています。
気持ちでやっていこうとしていましたが,無理そうなのであきらめて割りました。半分溶けかけていたので手がべとべとな感じになってしまってつらかった。
というわけで手作りチョコができました。これはチョコを湯煎したものですので,つまり手作りチョコです。
さすがにこれだけでは苦いだけだろうと考え,乳製品を用意しました。 脂肪分の割合が違う二種類の乳製品です。
これは現代文明です。ここに 38% の方を入れて,文明します。 思ったよりいいかんじになりました。
Do by heart
完全に気持ちでやっていった結果,以下のようになりました。
手作りチョコ(2)です。何をどうやってこのような状態になったのかは覚えていません。
湯煎が楽しくなってきたので,他にも何か湯煎できるものがないか,と考えたバターを湯煎することにしました。
すなわち,これは形而下的手作りバターです。
テンパリング
手作りチョコについて調べる過程で「テンパリング」という概念を知ったので,気持ちでやっていくことにしました。
風景です。左の鍋に入れた水と,ガラスボウルに入れたお湯とを使って完全に気持ちでやっていっています
なんかこんな感じになりましたが,なかなか固まらなくてダルくなったので雑に冷やしました。
Conclusion
手作りチョコ作り,見た目に汚いし温度管理めんどいし洗い物もクソダルかったので二度とやりたくない。
おとなしく店で買ったり,愛人から手作りチョコをもらったりしていきたい。
生クリームはすごくお手軽だったので今後もやっていきたい。
Note added
After the submission of this paper, id:kaiteki61 kindly advised the author to investigate the definition of "作る":
手作りチョコおき #独身男性手作りチョコバトル - #つくりおきb.hatena.ne.jp「手作りチョコ」ではなく「作り」概念を考えるべきな気がする、「作り」にはmakeとprocessがあり、「手作りチョコ」の「作り」を後者として理解すればよいのでは?
2016/02/15 23:42
しかしイスラエルに居るので日本語がよくわかりません。さすがに「手作りチョコの例に限って "作る" は "process" の意味である」という説は受け入れがたいので,「作る」を "process" の意味で使っている他の用例をご存じの方は教えて下さい。