id:minemuracoffeeです。金曜日の晩、会社でビールを飲みながら遅くまで喋っていた結果、うっかり日付が変わるまで飯を食いそこねてしまった。そのまま寝るのもどうかとおもったので、ザックバランでペペロンチーノを食った。
ぼく自身も家ではよくペペロンチーノを作る。ぼくに限らず多くの独身男性がペペロンチーノを作るはずだ。オリーブオイルとにんにく、輪切り唐辛子があればいい。材料費は格安の部類。独身男性のためのパスタ。
それなのになぜひとは店でペペロンチーノを頼むのか?店で食ったってパスタは乾麺だし、にんにくと唐辛子にはそこまで大きな品質の差異があるわけではない。調理設備の違いだって大勢には影響がないだろう。
しかしひとはペペロンチーノを頼む。それはペペロンチーノが単なる料理ではない。スポーツだからだ。
店の料理人にも一人暮らしを始めたばかりの独身男性にも等しく作ることができる。
しかしながらその奥は非常に深い。初心者、それも研究を怠ったもののペペロンチーノは材料こそはいっているが、オイルはソースにならずにんにく・唐辛子の不足や過剰で残念なものになる。
ある程度の習熟があっても道は長い。「まぁ一応ペペロンチーノだな」というものは作れるが、「これだよ!」というものが毎回作れるわけではない。
これは独身男性から本職の料理人まで変わらない。学ばないもの、経験がないものに奇跡でうまいペペロンチーノは作れないし、どんなベテランも油断すれば目指したペペロンチーノを捉えそこねる。
それはもう料理ではなくてスポーツだ。だからぼくは店でもペペロンチーノを頼む。その技を味わい、あわよくば自分のものとしたい。プロの技をベンチマークとして舌で、目で、鼻で記憶する。
スポーツというのは概して「わかっている」もののほうが楽しめるのだ。沢北さんが大好きな女よりも深津をほめるおじさんのほうが試合を楽しめる。
そういうことがペペロンチーノにもいえる。ペペロンチーノはスポーツだ。
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